サポーターはサッカーが好きでないといけないのか?

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最近、ある方のnoteの記事を読んでふと思ったことがあるのです。

そのnoteは、こちらでです。

自分自身、長いことサッカーをやっていました。

この記事を読み、自分にとってサッカーとは何か。好き嫌いで表せるものなのか。

そんなことを考えていました。

好きだから、サッカーを見に行く。

当たり前のようなことかもしれないですが、違和感を覚えたのでこのようなタイトルにしました。

なぜ違和感を覚えたのか。

その前に自分の話を少しだけしたいと思います。

 サッカーは自己表現の1つ

私がサッカーを始めたのは、6歳の頃。

自分からやりたいといったわけではなく、兄が通っているサッカースクールに親に無理やり連れて行かれました。

これが、サッカーとの出会いです。

人と争うことが嫌いだった私にとって、サッカーという競技はあまり好きではありませんでした。

そして、体格が良く、そのスクールのボスのような子に気に入られなければ、パスももらえません。

しかし、自分が意外と負けず嫌いなことが分かり、一生懸命練習すると少しずつ上手くなり、スクールでも上手いほうになることができました。

そうすると、ボスの子も私にパスをくれるのです。点を取れば声をかけてくれる。

そんな変化が嬉しくて、ひたすら練習しました。

チームを変えても、上手くなれば、みんなが信頼してくれる。

引っ込み思案な自分にとってサッカーとは自分を表現する手段だったのです。

好きか、嫌いかと言われればたぶん好きです。

たぶんというのは、正直よく分からないからです。

好きなのか悩んでいた時期もありましたが、今は正直そんなことどうでもいいです。

自己表現の1つ。

これが自分にとってのサッカーです。

このような経緯の中で、サポーターの中にも、サッカーは、好き嫌いとかではなく自己表現の1つという方がいるのではないかと考えました。

 

応援している自分が好き

もしかすると、そう思っている方がいるのは、ないでしょうか。

最高じゃないですか。

サッカーが好きじゃないと見に言っちゃダメなんですか?

そもそも好きに基準なんてないですし。

大きな声を出して、応援することが自己表現なら、全力でやるべきなんですよ。

チームが好き、選手が好き、サッカーが好き、応援している自分が好き、自己表現の1つとして応援する。

そうした、多様な人が集まるからこそ、ドラマが起こるし、熱狂が生まれるのだと思います。

サッカーが好きじゃない人を排除する、スタジアムにはなんの魅力もないです。

それぞれの好き、思いがチームを強くする

サッカーが好きで好きでたまらない人にしか見えない景色もあれば、見えない景色もある。(見ようとしない人もいる)

自己表現の1つとして応援するひとには、その人なりの譲れないポイントがある。

それぞれの思いをぶつけ合うことで、チームの文化ができてくる。

自分と考えが、異なる人を排除することは、大変危険じゃないですか?

サポータは、サッカーが好きでないといけないのか?

どちらでもいいと思います。

そんなことよりも、サッカーとは魅力的であるべきだと思います。

そして、スタジアムは、それぞれの心を満たす場所であり続ける必要があるとおもっています。

さあ、それぞれの何かを満たすためにスタジアムに向かいましょう。